小説「狭小邸宅」(新庄耕)|ブラック企業なのに、なぜ辞めないのか?

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ブラック企業だと分かっているのに、そこで働く人はなぜ辞めないのでしょうか?

本作で主人公が勤める不動産販売会社は、どれだけ家を売ったか、それだけが支配する世界です。

暴言、暴力、いびり、いじめ、厳しいノルマにプレッシャー。

一軒でも多く電話を掛けさせるために、頭と受話器をガムテープでグルグル巻きにされる営業マン。

30人いた同期がたった1年で6人まで減少するという壮絶な世界。

この通り完全なブラック企業なのですが、本作を読み進めると、それでも辞めない理由が分かってくるのです。


狭小邸宅 (集英社文庫)
目次

ブラック企業なのに、なぜ辞めないのか

承認欲求の搾取

ブラック企業だと分かっていても、なぜ辞めないのでしょうか。

それは、本人が満足しているからです。

これこそが、「承認欲求の搾取」なのです。

同志社大学の太田肇教授は、2019年1月のNEWSポストセブンの記事で、人に認められたい、期待に応えたいというという気持ちに便乗して、賃金に見合わない働き方をさせることを、「承認欲求の搾取」と呼んでいます。

承認欲求とは、他人から認められたいという欲求なのですが、その弊害について、太田教授は以下のように述べています。

「特に日本人の場合、承認欲求は積極的に認められたいというより、『認められなければならない』『期待に応えなければならない』といった受け身の形であらわれやすい。そこからくるプレッシャーが、しばしば鬱などを引き起こしたり、さまざまな社会問題をもたらしたりしている。長時間の残業や頑張りすぎもその一つであり、ときには過労死や過労自殺につながる場合もある。」

(隠れブラック企業 「承認欲求」を搾取するソフトな圧力とは 2019.1.7 NEWSポストセブン 太田肇)

ブラック企業でも辞めない理由は、その企業が、「他人から認められたい」という承認欲求を満たしてくれる場であり、本人もその仕事に満足感・高揚感を感じているということもあるでしょう。

それが承認欲求の搾取に繋がってしまうのです。

朝6時に出勤して掃除をする美容師

承認欲求を刺激して、割に合わない働き方をさせるのが「承認欲求の搾取」なのですが、私も思い当たることがあります。

ある美容室に髪を切りに行ったときのことですが、担当についた美容師が自分の仕事内容を誇らしげに語っていたのです。

その内容とは、次のようなのものです。

「僕、若手の頃は朝6時に出勤して店舗の掃除をしていたんですよ。早出の時間外手当とかは出なかったんですけどね。」

「でも、店長が褒めてくれてすごくうれしかったんです。その時のことがあるから、今の自分があるんですよ!」

この話をしていて、私は何とも言えない気持ちになりました。

時間外手当は出ないけれど、店長から認めてもらえてうれしい、これはまさに、承認欲求の搾取ではないでしょうか。

承認欲求を満たすのと引き換えに、割に合わない働き方をしているのです。

この場合、本人が自発的に働いているので、問題が表面化しにくくなっていまうのです。

本作の主人公も、このような「承認欲求の搾取」のスパイラルに陥っていきます。

承認欲求が人を変えていく

承認欲求のための滅私奉公

不動産販売会社に入社した当社、主人公は売れない営業マンでした。

周囲からは営業マン失格の烙印を押され、人格まで否定され、上司からは「辞めてしまえ」とまで言われています。

追い詰められた主人公は、なんとか一つの狭小住宅を売ることに成功します。

そのことがきっかけで、周囲の見る目も変わり、上司にも可愛がられるようになって物件を売るためのコツを教えてもらえるようになります。

仕事に取り組む姿勢も変わっていき、主人公は売れる営業マンへと変貌を遂げていくのです。

ここまでならいいのですが、主人公はさらに残業を増やし、自分の私生活も犠牲にするようになります。

彼女や友人など、プライベートの人間関係はどんどん悪化していくのです。

なぜ、ここまでして仕事を続けているのでしょうか。

主人公はまだ若いので、第2新卒という扱いで転職もできるはずです。

それでも続けてしまうのは、不動産を売るという行為が、主人公の承認欲求を満たしているからではないでしょうか。

営業マンは「数字による自己表現」

主人公の会社の社長は、不動産の営業マンの醍醐味は、数字による自己表現にあると言って、会議の場でこのように声を張り上げます。

「売るだけだ、売るだけでお前らは認められるんだっ、こんなわけのわからねえ世の中でこんなにわかりやすいやり方で認められるなんて幸せじゃねぇかよ、最高に幸せじゃねぇかよ」

(狭小邸宅 新庄耕)

主人公は、物件を売って数字を上げるという自己表現にすっかり取り憑かれてしまったのではないでしょうか。

それが、他人から価値ある存在だと認めてもらえること、承認欲求を満たすことになっているのです。

もちろん、営業マンとしての自己成長のために、物件を売って数字を上げるということは正しいことなのですが、そのために自分の私生活までを捧げるようになってくると、話は変わってきます。

承認欲求をほかの誰かに利用されている状態だからです。

本当の幸せとは何か

このように、本作では、自己成長を求めていた一人の営業マンが、その方向性を変えていく姿をじっくりと描いています。

ブラック企業なのになぜ辞められないのか、その理由が分かってきます。

仕事とは何か、本当の幸せとは何か、そのことについて考えるきっかけを与えてくれます。

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